夏休みは短縮されて修学旅行にも行けず体育祭やら文化祭やらの行事をほぼ潰されて「人生一回きりの小学○年生、中学○年生、高校○年生」の思い出がほぼないなんてさすがにキツイ。
そして追い打ちをかけるようなニュースが出てきたわ。
↓
卒アルはキツイなあ。
卒アルの大部分が、学校行事で埋め尽くされるはずなのに、
まず行事自体がなければ、卒アルに入れる写真もないわね。
私のようないじめられっ子陰キャは卒アルなんて見返すことほぼないけど、
大多数の人は、大人になって見返すことも多いだろうに、
「あの年は大変だった」って、美談のような思い出として語れるならまだマシだけど、
思い出すのは自粛生活・・・なんて、そんな悲しい思い出もないわよ。
過去記事でなんか今回のような心境、というかそれに近い言葉どっかでまとめたなあって思ったら以下の記事だった。卒アルと全く関係なさそうなのにあった。なんてことだ。
上の記事から引用
★逸話(ただのウィキのまとめ)
(略)
③大坂夏の陣にて、頼宣は先陣を希望したがこれを却下されたことに涙し、家臣から「若いんやからこの先、機会はナンボでもあるで若様。元気だしや」と言われる。しかし頼宣は「14歳が2度あるんか!?このハゲー!」と怒り、家康はこの反応を見て「よう言った!その言葉が槍(手柄)やで!」と頼宣を褒めた。諸大名は「さすが若様!」と感心した
これ。赤字の部分。
徳川頼宣公も、こう言ってる。
そうなのよ。
人生たった1度で、その年齢、そのときの「思い出」や「経験」、「感じること」って、「そのとき」じゃないと味わえないんだよ。
年齢経て真似事をすることだってできるけど、きっと当時といまじゃ、全然違うの。
ネット民の中には、「別にいいじゃん」とか「いまは無理でもいつか行けば、やれば」と安易に言ってる人も多いけどさ、
そういうことじゃないんだよ。
14歳の経験は、14歳のときにしかできないの。
18歳の経験は、18歳のときじゃないと得られないものだって多い。
なんだかんだ、苦しかったこと、辛かったことだって、経験したからこそ後になって「やっぱクソだったわ」とか思えるんだよ。
そもそも、経験してなきゃ、そんなことすら分からない。感じることができない。
そんなツライことあるか????
かといって、私ではどうにもできないんだなあ。
どんだけ対策しても、感染者、クラスターが発生したらバッシングは免れない。
最悪、一族郎党皆追放。
なんか、厳しすぎないかコロナさん。
私が学生時代にこんな状況になってたら、陰キャなりに「最悪」って思ってたと思うよ。
心中、容易に察せるよ。
陰キャだったけど仲良くしてくれた子も多かったからさ、
そういう子たちと喋ったり、どっか出かけたりとかさ、
今思い返しても楽しかったなーって心底おもう。
修学旅行も大した思い出はないが、確かに「そこに行った」って思い出だけは残ってる。
今思い返すと、もっと色々積極的に楽しめば良かったなあって思わんでもないけど、
そういう後悔っぽいことだって、経験したからこそ思えるんだよ。
といってもね、多分、いまの子って私が思うほど深刻になどとらえてないと思う。
もっと気軽に、じゃあ代わりのことで思い出作ろう!って、すごく前向きに考えると思う。
そういうの、陽キャの強みやね。うらやましい。
卒アルは、でも、どうするんだろうね?
学校の行事なんて3密不可避だし、どうしようもなくないか?
いっそ、「みんな~」みたいな防護服を着込んでの球技大会とかもありかもね。
もちろん真夏以外でな!!!あんなもん、真夏に着たらぶっ倒れてしまうわ。やめとけやめとけ。
↓みんな~の防護服
若い子は、若い子なりに柔軟な考えで独自の思い出をたくさん作るだろうから、
私が可哀想とか言う資格はどこにもあらへんねんけど、
なんか、勝手に想像しておっちゃんは可哀想やなあって思ってしまったので許してほしい。
昔からむしろ若い子とか苦手(年下全般嫌い)みたいな思想持ってたけど、
ここ数年、完全に親目線で見守れるようになったから、おっちゃんも少しは成長したなあって思う。
単純に、嫉妬する体力すらなくなったんやないかって思わんでもないが、
嫉妬するよりは、微笑ましい気持ちで見守れるほうが万倍マシですう。
そう自己主張したところで、またこんど。