仕事しててちょいちょい村正に関する原稿担当してて、毎回思うことがある。
それというのも、書籍見てると「正宗とかと並び称されるほどの刀工じゃないやで~」っていう文言をちょいちょい見るんだが、
国宝や重文に指定されてないと「名刀」って言っちゃあかんのか?って識者にずーっともの申したかった。
めんどくさい思考してるので、名工と言われた刀工たちが製作した刀は全部、「史料的な価値が高い名刀やろ」って思ってる。
どんだけ書籍で「田舎くさい作」だの「垢抜けない」だの「平凡」だの書かれてても、
私個人としては数百年前に作られた刀である時点でめちゃくちゃすごい価値あるやん、って思う。
そら、そんなざっくりな評価じゃ、かえってその価値を下げることになるのは知っている。
でもさあ!!!って反発したくなる。幼卒だから。
村正の刀は実用性重視の刀だから、美術的な価値は本来低いと言われている。
その証拠にか、村正の刀で国宝や重要文化財に指定されている刀は、じつは1振もない。
(他の刀工では、無銘であっても国宝、重文指定の作がいくつもある)
でも、伊藤博文は村正推しだったというし、
分かる人には、その良さがとても分かるんじゃないのかな。私も分かる。
画像検索すると、なんかすごい禍々しい村正の刀出てくることあるけど、
あれは単純に刃文がそういう風に焼いてあるからとしか言いようがない。
逆にあの禍々しい刃文が「ザ・妖刀」の名を冠してると言える。と思う。
私個人としてははじめて「村正の刀」って言われて見た刀があの刃文だったら「うわすごい」って思うと思う。実際にそう思った。
みんな大好きデアゴスティーニの「週間日本刀」で村正の写真見て「うわすごい」って思わん人おらんと思う。
↓デアゴスティーニ週間日本刀公式ページ
美術的価値高くても低くても、私は昔に作られた刀が総じて好きである。
無論、現代刀匠による作も、美しくてとても好き。
つまり、刀と名がつくのならなんでも好き。ザ・博愛主義。
だって、ねえ。
人間、美しいものに心惹かれて当然ではないですかね。
可愛いものも、美しいものも、かっこいいものも、渋いものも。
全部に個性があって、それそれですべてが「愛しいもの」に違いないのです。
※感受性が豊かでめんどくさい性格してるのでなんでも重く考えるのはいつものことです。
刀、じっくり見て見たいなあって思ってもいまはテレワークだから見られない。
特殊な職場ということは前も書いたのでカッツァイするけど、
いくらでも本物を見る機会があるっていうのは、すごく貴重だと思う。ほとんど見たことないけど😭
そう考えると、テレワークは心地いいけど、実物が見られないからすごく作業に支障でる。ムムッ。
ちなみに、小刀とかだったら手が出せない価格ではないのです。
刃文などを堪能したい!というのであれば名刀を見るのが一番ではありますが、
刀を学びたい!っていうなら、数十万円から買える。
ただ、刀って、生き物ですのでね・・・
お手入れ怠ると・・・錆びたり劣化したりするんですよね・・・
ちょっとそういうのが苦手だと・・・大変なんだよ😭
前も言ったけど博物館とかの刀が綺麗なのは、
定期的にお手入れしているからだよ・・・っていう。
研ぐと価値が落ちるため、あくまで表面を軽く拭く(※厳密には専用の道具使ってポンポンしたりキュッキュしたりする)。
そういうのやってるから、ずっと美しさが保たれている。
っていうのを以前、徳川美術館行ったときに学芸員さんぽいマダムから教わった。センキューマダム!心が美しい人に教わる刀の豆知識、頭に残りやすくて最高だぜ!😘
なんの話だっけ。って撃ち込むのもめんどくさくなってきたぞぅ。バキュン。
妖刀、って言葉には「人を祟る」以外にも、「あやしい魅力を持つ」って意味があるらしい(Byウィキペディア
だから、そういう点では、村正はまさに「妖刀」だよな!って言いたい。
以前書いた怖い話とか、のぶりん記事のなかにも、深い言葉を遺しているので(※私が)最後に置いて締めたい。
↓以前書いた怖い話
(略)
しかし一方で、不思議な体験をした阿部師範は、このように語っています。
「日本人は、縁起を大事にする民族なので、基本的に縁起の悪い物は残さない。それは日本刀も同じで、ご先祖様の命を守った刀として、代々受け継がれてきたはず」
もともと刃物類は、神聖な物と言うことは冒頭で述べましたが、儀式に用いられる以外に「護身刀」などの身を守る「お守り」の他、寺社・慰霊の場所などへ捧げて神や死者の魂を鎮める「奉納刀」など、縁起がいい物として扱われてきました。
それはつまり、人を斬った日本刀もまた、裏を返せば持ち主の命を守った縁起物と言うことになります。
現代において作刀される日本刀は、人を斬る可能性がある武器ではなく、見る人の目を楽しませるために鍛えられる美術品です。作刀工程において専門の職人が何人も携わり、最高の1振を作り上げますが、そこに憎しみや恨みが込められることはありません。それはつまり、これからの時代に刀剣にまつわる逸話が投稿されるとしたら、不幸や災いの出来事ではなく、「幸福が訪れた」「守護してもらった」などの明るい逸話が中心になる可能性を秘めているのです。
縁起が悪いもの、災いをもたらすものを破壊すると、それはそれで災いが起きる。ただそれは裏をかえせば「壊さなければ、粗末に扱わなければ災いは起きない」ってことやし、それはある種の「縁起物」やん、っていう考え方、超好き。
刀剣でも、名刀と言われて文化財指定されとる刀は実際に人を斬った痕跡もあるから「怖い」と思うのも当然。しかしながら、それも逆にいうと「所有者にとっては命を守った縁起物」だったわけで。
村正だって将軍家から忌み嫌われたというが、家康公は村正を子孫のために遺しているし、家臣団も村正の刀をじつは使ってたという話もある。史実かどうかは不明
縁起悪いものは遺さないんよ、って言われてから、私も「確かになー」って納得した。だから、オカルト板とかに「日本刀のせいで怖い目にあった!」という話が投稿されても、「ほーん。よくできた作り話やなあ」としか思わなくなった。
先述の過去記事内にもあるけど、「きちんと供養すれば怖いことは起きなくなる」のは明白なのだよ。供養の仕方が悪い、扱い方が悪い。刀に罪はあらず、使用者に罪ありき、って思う。これ今私が考えた名言だから流布してほしい。
こういう考え方、広まってほしいなあ。
後世の人々がどう感じるようになるのか、たのしみである。
まあ私の場合、インターネットが消えたらそれとともに消滅する存在なんですけどね😭電子生物の宿命ゆえしかたない。
長くなりそうなので本当に締めます。また日本刀で思うところあったら、記事にする。これは確実に。だって毎日それ関連の原稿やってるからね!思わない暇がないよね!
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