どこで見たとか書くといい加減身近な人々から「コンプライアンス云々!!貴様はクビじゃ!!!!」ってお叱りを受けそうなので詳細は伏せますが、
はじめて、
玉鋼の塊(恐らく1kg)を見た。
持ち上げた。
これが7~8個くらい集まって、
やっと、
1振の日本刀が作られるんだなって思ったら、
俄然、
原材料でもいいからほしい!!!!!!!!!!!!!
ってなった。
ほら、オタクだから。
オタクは、
推しの「字」だけでも欲しくなる生き物なんですよ。
いや、この感覚はオタクに限ったことじゃないかもしれない。
アイドルやグループのファンだって、
その「推し」の色や文字、模様が入ったグッズ、
それが「公式」でも「非公式」(二次創作)でも、
欲しくなるし、
なんなら、自作する可能性だってあるでしょう?
それと同じ感覚なのだ。
わたしは、
日本刀関連に触れ始めてからというもの、
作刀工程におけるすべての「材料」や「道具」、「製造方法」にいたるまで、
魅力を感じた。
いままでずっと、「フィクションの中の武器」という認識しかなかったけれど、
調べれば調べるほど、
「持ち主を守った武具」であり、
「不思議な力が宿る宝物」でもあるんだと、
心底から思った。
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無論、本物は、定期的なお手入れが必要という「もしや生き物なのでは」レベルに管理が重要なことも、分かった。
ただ、「これ」がなければ厳密には「日本刀」とは呼べない。
その、「これ」(玉鋼)に、心を惹かれたんだ。
こんぷらなんたらの関係でなんにも言えませんが、
そのうち、我が家に「御守り」として玉鋼を飾る日も、近い気がしている。
なんつーか、
こういうのも、運命の巡り合わせといっていいのかもしれない。
元々はそんなに興味なんてなかった。
ただ、オタクだから「そういう系の話」は大好物で、
だから、調べるのも苦痛じゃなかった。
そして、1年。
どうやら、わたしのこれまでの10年間+αの経験が、
いまになって、最大限、活かされはじめたらしいと知る。
以前も申し上げてますが、
「趣味の延長」という感覚しかないんですよね・・・
「慣れてる」ことを、「ふつう」にやってたら、
なぜか、とても「重宝」された、っていう。それだけ。
ただ、「ふつう」になるように「必死」になってるのはある。
自著に掲載した関係で過去記事は読めなくなってますが、
わたしは「真面目系クズ」なので、
「ふつう」を演じるために「必死」になって「ふつう」のフリをしている。
「ふつう」は、「ふつうじゃない」。
かなり遠回りして、
これまで自分がなんとなくでもやってきたことが、
なぜか、認められた。社会的に。
こんなうれしいこと、ありませんよって。
だからね、
これからも、有限だとしても、自分が「やってみたい」ってことはなんでもチャレンジしたいし、
「ほしい」って思ったものは、どんどん手に入れるために、
努力を欠かさないようにする。
玉鋼もそうだけどね、
別に、言うなればほんと、「ただの鉄塊」なんですよ。
御守りなんて言ってるけど、そんな効果は神社の御守りと比較するまでもなくゼロなんだろうなって分かっています。
でもねえ、
わたしは、オカルトなこと言いますが、
「人の想い」、とか、「思い込み」の強さを知っているので、
「これはわたしの御守り」と思ったものには、
ちゃんと、「思念」が宿るって信じております。
日本はもともと、「八百万の神様」っていう考えがありますでしょう?
それは、違う形で海外にも存在するんです。
「精霊」とか「妖精」といった言葉に変わりますけども、
あれも、考え方は「日本の八百万の神様」と一緒ですからね。
ものを大切にする気持ちって、どこの時代でも、いつの世の中でも、存在するんだろうなって思っています。
そうでなきゃ、「中古屋」とか「リサイクルショップ」なんてものはできないし、
「リユース」とかいう言葉が生まれることもない。
「資源」が有限である一方で、
目に見えない「思念」は、無限なのではないかなと。
なんか何言ってるか自分でよくわかんなくなってきた。これは新型肺炎にやられてるのか・・・?熱も症状もないけど・・・
何事に対しても、昔っからわたしは、「人より重く」考えがちなんです。
何かお礼を言うときも、500字近い文章をラインで送りつけることがあるし、
常に「死活問題」で考えるし、
小さなミスでも、泣いてしまうことさえありました。いまは開き直ることができるようになったので過去の話だ。
だからね、
玉鋼っていう、日本刀の原材料、手に入れられたら「家宝」のように大事にしたいって思っています。
ただの鉄塊なんだけどね。
でも、書籍にはたまに「宇宙からの飛来物」と記載されてることもある。
確かこの説は普通に否定されてたけど。
でも、ロマンあるじゃん。
投稿主はね、ロマンが大好きです。
過去に発見された!とかいう、未確認生物とか、大好き。
幽霊も、きっといたら面白いし、
宇宙人だって、身近にいるかもしれない。
そういう、日常にある「ワクワク」が大好きなんです。
なんでもない「もの」に、こういう意味があったら、「おもしろい」なあ。
そういうのの積み重ねを、日々楽しみながら生きてます。
だって、全部否定したらつまんない。
つまんないだけならいいけど、
次第に、人に対して攻撃的にもなる。
投稿主的に、「攻撃的」が一番、厄介な感情で、最悪な存在だって思っています。
っていうと過去記事とかモロに何かに対して攻撃的なこと書いてたりしますが、今はそれはええねん。
「こういうことがあったらいいなあ」「おもしろいなあ」
そういう感性は、誰にでも芽生えるものではないので、
わたしは、そういうのを「おもしろがれる才能」に、感謝して生きてます。
ほら、また重たいこと思ってる。そういうとこやぞ。
もっとたくさんの面白いこと、知らないことを知りたい。
真理までは知りたくないけど、それに近いことは理解してみたい。
ただ、「正体」が知りたいだけじゃないんです。
「正体不明」の状態で、「推察」するのが楽しいの。
そら、もちろん「カッパのミイラ」とかDNA鑑定せえ!って思うことはあるけど。
でも、
たまたまそのミイラが「既存の生き物」でした。ていう可能性もゼロじゃないんです。
つまり、発見されてないだけで、存在しているのではないか。
そのワクワク感が、大好きなの。
未知のもの、正体が分からないものに魅力を感じる。
大人になると、わりと色々分かるというか、「見えなくてよかったものが見えてしまう」(社会の闇的な意味の)っていう状態になるんです。
だから、子どもの純粋な疑問や不安、好奇心って、貴重だなあってすごく思います。
つまりは童心を忘れたくない。
だって、「毎日が輝いて見える」ようになるんですから。
くすんだ、嫌な世の中は、あえて見えないようにすることができる。
それは、物理的に引きこもるとかいうことじゃなくて。
たとえば、通勤のルートをちょっとだけ変える、とか。
1駅前で降りて、歩いて帰る、とか。
そういう些細な変化を楽しめるだけの、「心の余裕」がほしいってことです。
心に余裕ないから、攻撃的になるのは、もうこれこそが世界の真理。大人の事情。
じゃあどうするって、
「自分で楽しめること」を「自分で見つける」しかないんです。
そこに比較対象は必要ない。
誰がなにしてても、関係ない。
「わたしが、やりたいから、やる」それだけでいい。
その結果、ひとに迷惑かけるとかだとマズイですけどね。
そこはそれ、大人なら、「線引き」くらいは分かるでしょうし。
「誰かにウケ」なくていいから、
自分でやって楽しいな、ってことを、やって、毎日過ごしたいんです。
そしていまわたしはまさに、それを実行して生きている。
今生、いまが一番充実してて、しあわせだから。
この生き方が、わたしの正解なのかもなあって思っています。
こんなわけの分からない記事をまーた3000字/1h弱の速度で書いてしまった。
でも、言うならこれこそが「わたしの長所」なので、
今後も、これを活かして生きていきます。
応援してくれる方はグッズの購入をご検討ください😄新築も待ってます♡
どうでもよい追記
自分より数歳ほど若い男子に「夢小説ってなんすか?」て聞かれて
そんなんお前、昔俺も書いてたことあるよ(しかもそのマイナージャンルで覇権取ってたよ)
なんてさすがに言えず、
「乙女ゲームってしってます?あれと似たようなもののことです」
と返したときの投稿主の心境を答えなさい(5点)
なにが悲しくてイケメン君に夢小説の説明せなならんねん。ちょっと興奮したぞ。
やっぱ今もそういうの、好きなんだね乙女の方々。
わかる。俺も好き。カルデアとか本丸とか、そのプレイヤーによってちょっと性質変わる要素、あると、楽しくなっちゃうよね。
すべての夢女に幸あれ。