毎年、この時期って全人類といってもいいくらいの人々が「今年の抱負」とかいって決意を新たにチャレンジすることや飛躍を誓って書き初めしたり目標を立てたりしますけど、
そもそも「抱負」って字面だけみると「負けを抱く」的にも見えるやんけ、ってふと気付いたので語源についてググってみた。
したら、結構奥が深い語源(由来)あったことを知った。
以下、ヤフー知恵袋からの引用
「抱負」の語源 - 抱負という意味は、志とか、希望とか辞書に書いてあ... - Yahoo!知恵袋
「抱負」の語源
抱負という意味は、志とか、希望とか辞書に書いてあります。負は「負う」という意味で負けるということではないようですが、「抱く」+「負う」でどうして「希望」という意味になるのだろう、と思います。どたなか語源をご存知の方は教えていただけませんか?
ベストアンサー
「大漢語林」(大修館)によると、「抱」は、「心にいだく」ということから「思い。思うこと」の意味。
「負」は、「負う」から転じて「頼む。頼みにすること」の意味。「抱負」で、「心に頼みとすることを思う。その思い」を意味し、意味が狭まって
「心中に抱く考え。計画。自信」を意味するようになった。ということらしいです。
が、私も書いていて何か一つぴんと来ませんでした。
うん。
ものすげえ小難しい言い方にされてる。ムカつく。
ウェブライター業しはじめてから気付いたんですけど、
投稿主、こういう、もっと万人に分かるであろう言い回しをわざわざ小難しい表現で書く文章が心底から嫌いみたいでですね。
なので、極力投稿主は、誰が読んでも分かりやすい言葉に勝手に直してしまいたくなる癖がね、あるんですよ。
(実際、仕事でも「誰が読んでも分かるように」を意識した文章は同僚や上司に認められているので、やっぱ人は「分かりやすい」(≠稚拙)を求めるのだろうなと確信を持ちました)
今回はこの「小難しい語源」を自分なりにかみ砕いて解説していきたい。
勝手に。
まず「抱負」、って字を分解すると「抱く」と「負う」になる。
「抱く」は文字通り、「抱っこ」。
「負う」は、「背負う」ということ。
つまりは、「野心を前から抱き、なおかつ後ろにも背負う」という意味にもなるやん。
なんか、「目標」=「目の前に標(しるべ:目印)を置いて、それのために頑張る」より、随分と「ガチ感」出てんやん。
それに、「どこまで先にその標があるか分からん」状態の「目標」と違って、
すでに「抱いて、背負ってる」状態の「抱負」のが、手が届きそう。
抱負は、
「野心を抱いた(背負った)まま、そのために突き進む」感が出てる。
日本語って似た意味で別の言葉、ってのがあまりに多いうえに、
時とともにその意味が変わっちゃう、まさに「生き物のように進化していくもの」だから、
元来の「抱負」って意味自体が、そもそも別のもんなんじゃないかって思うことはある。
ただ、
「目標」に比べて「抱負」のほうが、身近感があるのは事実。
前出の投稿主の考察が合ってるならの話だがね。
ていうか、
「目標」と「抱負」って
そもそもの使用用途や意味が、わりと別じゃね。
具体的に「なりたい自分」に向かって突き進むのが「目標」
具体的に「すべきことを念頭において行動する」のが「抱負」
ってくらい、意味が違う。
最終的に「理想の自分」になるのは一緒でも、
その過程、道筋がちゃいますやん、って感じる。
たぶん、その筋の教授や研究者がみたらこの解釈も「いや、ちゃいますけど」って突っ込まれるかもしれん。
でもね、さっきも書きましたけど、「言葉は生き物」だからさ、
そも、専門家の方が提唱する意味が、現代では変わってるってこともありますからね。
知識を書籍のみで拾おうとすると、
最新の研究結果と食い違うことも多々ある、みたいな。
ネット民が使ってた用語もそうだけどね。
世間に浸透した結果、意味が全く異なる言葉になっちゃったみたいな。
例:「壁ドン」
ネット民の言う「壁ドン」=隣に住む住人がうるさから壁をドン!と叩いて黙らせる
世間に浸透した「壁ドン」=イケメンが女の子を壁際に追い詰めて口説く、その際に手を壁に「ドン」と付ける
ネット民が上記の「壁ドン」をさらに派生させた「壁ドン」=四つん這いになって相手に襲いかかる等
とかく、日本語は多様すぎて、こういう現象が毎年のように起きてしまう。
じわじわと浸透していっているなあ、と少ない年数しか生きておりませんが、ひしと感じます。
だからこそ、日本語って面白い。楽しい。
投稿主が懲りもせず記事書いてみたり、小説書いてみたりするのもそっからですからね。
楽しくなきゃ、こんなことやってられませんぜ。
ということで今年の投稿主の抱負はこちら。
・楽曲制作=アルバム出せるだけ作る(20曲?)
・文筆=過去に書いた作品を完結させる&新作を出版する(4冊/年)
・絵=毎日練習
注意事項としては、
「一発で完成させない」こと。
投稿主、なんか知らんけど「作品」ってのを作るときにね、
「短時間で」完成させようとする癖があるの。
集中切れたら「飽きちゃう」と思ってるからやっちゃうんですけど。
たとえば小説なら、毎日5000字って決めて連日書き続けないと「飽きちゃう」という不安がある。
絵なら、「3時間前後」で「着色」まで終えないと「飽きちゃう」って恐怖があって、
だからどうしても、どんだけ完成度低くても「ひとまず完成」って思ったら、そこで終わっちゃうことが多々ある。
これ非常に悪い癖です。
分かってても、「飽きる」恐怖が常に邪魔をする。
だから、すべての「抱負」に対して
「少しずつ」「完成させる」って注釈を付けています。
一度に、一息に完成させようと思わないでええんやで。
少しずつ、毎日少しずつやって完成させればええんやで。
って自分に言い聞かせる。
絵は、ちょっと改善されつつあります。すでに。
去年暮れまで、「2時間以内に着色まで持ってかないと飽きる」恐怖がありましたけど、
今年入ってすでに「3時間程度までなら、描ける」ってくらいになりました。
無論、「飽きる」恐怖は残ってますけども。
ひとまずね、「飽きる恐怖」を乗り越えることからはじめます。
ブログ記事なら5000字とか書いても全然飽きないのに
絵や楽曲制作、および小説は、なぜか、「飽きる」ことが多いのでね。
本当、なぜだろう。不思議。
でもこう思うのです。
「飽きる」ことにうち勝てば、
「抱負」も「目標」も、簡単に乗り越えられるのではないかと。
相変わらず(記事が)長くなるので、最後にわしが考えたポエムをどうぞ。厨二病も悪くないよ。それで自信が持てるなら全然悪くないよ。
私はまだ種。芽も出ていない。
まずは目標。「実績」という名の肥料を与える。
そして、芽が出たら次は「経験」という名の水を与える。
少しずつ大きくなったら「舞台」という名の器を変える。
つぼみになったら「間引く」。付き合いを選別する。
あるいは、不要な習慣を捨てる。
花が咲いたら支えてくれた「人」という名の支柱に感謝する。
枯れさせるも、花咲かせるも、全部「自己責任」っすよ。
今年も、少しずつ躍進しましょ。
誰でもなく、ほんとの「ライバル」は自分自身しかおらんのだから。
というわけで
石油王結婚しよう。私はここだ。ここにいるぞ。
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