伝伝即飽

私の中で話題になっている事柄をお届けします!(※まとめサイトっぽいけどただの個人ブログです)

今日は各部屋の大掃除をしました。

ここ数週、毎週末体調がおかしくて寝てばかりで、ろくにお掃除ができておりませんでしたので、

今日は、各部屋の大掃除をしました。

 

ほこりをはたいて、

コロコロして、

掃除機をかけて、

トイレとお風呂場なども、しっかりと掃除をしました。

 

わたしは、自称にはなるのですが、

いわゆる「ギリ健」です。

 

「ギリ健」は、「ギリギリ、健常者」の略語です。

病院に行くと障害の名前や病名を教えてもらえるものですが、

検査の結果、

「なんらかの障害」などの疑いがない、

でも、健常者、と言い切るには、

「ふつうの人」より、いろいろと、自覚症状がある。

 

こういう人たちのことを、ネット民は、

「だらしない」

「やる気が無い」

「怠けているだけ」

「甘え」

と、批判します。

 

無論、自覚があるので、直そう、とします。

その一環で、本日、お部屋の大掃除をしました。

 

「ギリ健」にも、レベルがあるのですが、

私は、ネット民の投稿をみている限り、

「ギリ健」の中でも比較的、軽度なのだろうというのが分かっています。

 

机のうえに物が散らかっていても、そんなに気にしないとか、

パソコン周り、散らかっていても、そんなに気にしないとか、

基本的に、「掃除」があまり得意ではないのだけは、自覚があります。

ただ、いわゆる「ゴミ屋敷」とか「片付けができない」というわけでもなく、

掃除をすれば、一時的にでも綺麗な状態が維持できるのです。

まさに、「ギリ健」の症状です。

 

こういうタイプの人間が、

世の中には、けっこう、多いのです。

町を歩いていても、電車乗っていても、

そういう人が、紛れ込んでいるのです。

 

私は、自分のそういった「ずぼら」な性情を受け入れたうえで、

以下のような習慣を身につけています。

 

・掃除は、毎日が無理でも気分がいいときに一気にやる

・予定などを立てる場合、忘れ物だけ気をつけて、決められた時間の1時間前に現地につくようにする

・多少散らかってても、気分がのらないなら無理して片付けない

・ゴミは溜めない

・物をしまうとき、書類を郵送するときなどは、その都度写真を撮る

・自分のなかで「ライン」を決めて、それをこえないようにする

・基本、無理はしない

・でも、甘えすぎない

 

以前も記事にしてますが、

物忘れがあまりにひどいので、よくなにかを探しています。

それを改善するためにはじめたのが、写真を撮ること。

スマホで撮って、クラウドに保存しておく。

いざというときに、どこかにしまった時の画像があれば、そこを探せば確実に見つかる、という方法。

こうでもしないと、また、探してしまうから、

自分でできる対策は、徹底的にやっています。

 

約束の時間とか、仕事の出勤時刻もそうなのですが、

今生、体調不良など仕方ない理由以外で遅刻した回数は、

自覚あるだけでも、数回だと思っています。

だいたいは、集合時刻などの10分前には確実に到着するようにしています。

仕事でも、始業時刻の15分前には、だいたいすでに職場にいます。

学生時代のときも、遅刻などはほとんどしたことがありませんでした。

 

「遅刻は大罪」という意識があるからです。

「遅刻すると、信用度は落ちる」という認識があるからです。

 

なので、始業時刻ギリギリとか、遅刻とか、平気でしてくる人を、

わたしは基本、信用していません。

友人関係に関しては、遅刻常習のような人とはすでに縁を切り、

同僚であれば、その人に頼み事をしたりとか相談とか、絶対しませんでした。

 

遅刻、という一点に関してのみいえば、

やはり、「いい加減」な人が多いのです。

仕事の内容も、会話も、生き方も、全部が「いい加減」。

それでも、悩んだりなどしていないので、すごいと思います。

周囲がそれで許しているなら、それ以上関わらないようにするだけなので、構いませんが、

たとえば、相手の遅刻が原因で取り返しのつかない事態になることがあれば、

遠慮なく、縁を切ります。

仕事であれば、転職します。

そのくらい、「時間にルーズ」な人が、苦手ではあります。

 

心根が真面目すぎて、それが余計に「ギリ健」に拍車をかけているのだろうと自覚があります。

自分でできる、「健常者になるための努力」を、わたしは極力しているので、

一切努力していない「ギリ健」の人を見ると、わりと、イライラするのも事実です。

たまにつけるテレビなどで、病気(いわゆる「ADHD」とか「発達障害」とか)を理由に片付けができない、と言っている人、

病気を理由に、遅刻してしまう、という人、

なにか特別に、それを改善する努力をしているかというと、

少なくとも、一切、そんなことはしていないように見える。

11/17追記

 以前ツイッターで見かけたことを思い出したので訂正します。

「ADHDや発達障害などの方で、重度の方は、「何もしてない」じゃなくて「改善するために手を尽くしたけど改善することができなかったために、諦めてしまっている」状態。だから、何もしてないのではなくて何も打つ手がなくなっただけ」

わたし自身が、ギリギリとはいえ健常者であり、しかも症状は軽度であるから、改善できているだけで、重度の方は何をやっても改善できなかった結果、「諦めた」だけなのですね。

この記事を見られた方で、傷ついてしまわれた方がいたら、大変申し訳なく思います。浅慮な発言、訂正致します。申し訳ありませんでした。

症状が重度の方でも、改善できるようないい方法が見つかることを切に願っています。応援しています。どうか思い詰めすぎず、気を楽に生活をなさっていただきたいです。

 

 

周囲にいる、一見、ふつうに見える人。

その大半が、おそらくは、「健常者になるための努力」をしている「ギリ健」なのではないかと、最近思うのです。

 

時間に関していえば、遅刻しないようにアラームを何重にもかけるとか、

クローゼットのなかとかグチャグチャで、なにをどこにしまったか忘れてしまうのなら、

ネームタグなどを駆使して、入れる場所を決めて、整理整頓をしておくとか、

そういった努力を欠かさずやっている人こそが、「健常者」なのではないか、と、

最近はそう思います。

つまり、「ふつう」なんて、「ふつうは、できない」。

「ふつう」になるために、「ふつうを演じる」のではないかな、と思っています。

 

そもそも、「ふつう」の定義があまりに曖昧すぎるし、

ネット時代になってから、ますます、「ふつう」だと思ってたことが「ふつうじゃない」ことも、増えてきたように感じられるし、

誰かに強要や強制しない範囲で、独自ルール設けて、

「ふつう」を演じる人こそが、「健常者」なんだろうなあ、と思います。

 

わたしは職場で、「仕事がはやい、品質も並以上の文章を書く人」という認識を持たれています。

それは上司の態度や、同僚の評価などから推察されています。

でも、これこそ、「ふつうじゃない」のです。

 

わたしは、不真面目なのです。

いわゆる、「真面目系クズ」なのです。

だから、人よりも頑張らないといけない、と努力した結果が、前出の評価に繋がっているだけなのです。

本当は、業務中も、集中切れたらあんまり関係ないサイト、見ちゃうことあるし、

気を抜くと、寝落ちしそうにもなっています。ほぼ、毎日。

でも、仕事だからだめだ、と気を張って、頑張っています。

その結果が、前出の評価になったのです。

だから、

わたしが、クズな部分を改善しようと努力していることも知らずに、

「あなたは真面目だし仕事が早いわね。すごいわ」と、

したり顔で言ってくる人が、大嫌いです。

 

こんな感じの生き方になっている人が、

恐らく、推測ではありますが、わりと多いんじゃないかな、と思っています。

「努力」と自覚がないけれど、自分のダメな部分をマシにしようと、

なんらかの対策をしながら生きている人は、

わたしが思う以上に、大勢いらっしゃるのだろうと思うのです。

それはつまり、

「ふつうに、ふつうの生活ができる人」っていうのが、少数派ということでもあります。

「ふつう」の定義や観念が、覆るくらいのおおごとなのではないかな、と思っています。

 

「ふつう」って、なんですかね。

考えても分かりませんが、

少なくとも、「他力本願で自分からは何も対策しようとしない人」のことだけは、

「ふつうじゃない」とは、思っていますがね。

 

そういう生き方も、その人の人生ですので、別段問題ではありません。

ひとまずわたしは、今後も「ふつう」を演じながら生きていきます。

ブログでは内心曝け出しまくってますが、

たぶん、私生活においてわたしという人間を知っている人であれば、

「ほんとうにこの人、あいつか?」くらいの認識の齟齬が起きると思っています。

それだけわたしは、猫かぶるのが上手なので。

いわゆる、「ふつうの人間のフリが上手」なので。

 

世間の人もきっと、この「ふつうの人間のフリ」をしながら生きてるんだろうな、と思うと、

ちょっと世界の見方が、変わりますね。

というか、見聞きしていて、なんとなく、分かります。

身近にいる方々が、本当は、どういった性情で生き方をしているのか、

今生、大勢の人と出会い、別れてきて、

「人を見る目」が養われたので、分かります。

 

案外、「ふつうの人」って、いない。

みんななんらかの、「人より変わった部分」が、絶対ある。

悪意にせよ、善意にせよ、そういうのが分かると、

人と接していても、苦痛がだいぶ、減ります。

だからいま、ちょっとだけ、「ふつう」になってきたかもな、と思えるのです。

前よりは、人を「嫌う」ことが減りましたので。

これは、とてもいい傾向だと思います。

 

今日は、とても真面目な内容でお送りしましたけども。

これ書いてるあいだ、ずっとお腹痛かったので、トイレいってきます。

では、サバイバーイ。

 

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