はじめに。
この記事は、難読漢字を読めない及びちょっと小難しい日本語が分からない人へ対する批判記事ではありません。むしろ逆です。ご了承いただける方のみ、お読みください。ちなみに総文字数500字で終わる予定です。書いてるうちにテンション上がってきて3677字になりましたご了承ください。(読み終わるまでに10分くらいかかる長さです)
LINEニュースで「おもんぱかった」という見出しの記事が出て、その意味をしらない人々が「誤字www」とか言ってた、というのが話題になっています。
まず、「おもんぱかる」は「慮る」と書き、「じっくりと考える」的な意味を持つ、古くからある日本語です。無論、そんなに日常的に使う場面、ないと思ってます。いわゆる「常用語じゃないけど読書家とかならよく見るし意味も分かる言葉」のひとつ。
これを読めない人々へ対する嘲笑や批判を、ネット民が各所で爆発させております。具体的にどこかは検索すればすぐ出るのでわざわざリンク貼りません。
で、「おもんぱかった」を知らない人が大勢いるとして、それを「無知だ」とかいう現状の方がよくないのではないか、と思うわけです。
そら、いわゆる「教養がない」とかそういう部類の話にはなるんですけど、そんなの、今回に限らずじゃないですか。難読漢字とか非・常用語とか、あらゆるところで見かけます。
漢検などをやっている人なら簡単に読めるんでしょうけど、生きるうえでぶっちゃけ必要がない知識とか、腐るほどあります。
知らなかった人は、これを機に知っておけばいいし、別に知らないまま生きていっても、そのうちまた別のところで恥をかくのは自分なので、他人がどうのこうのと批判する必要などございませんよ。
なんなら、「おもんぱかる」を知らない人がそんな大勢いる現状のほうがヤバイと思うべきなのでは。
義務教育、および高等教育など、学歴とか関係なく、日本の教育、失敗してる証拠じゃん、って思っちゃうのです。
日本語は世界で一番むずかしい言語です。日本生まれ日本育ちの方にとってはそうは思わないかもですが、同じ発音で全然違う意味の言葉、また別の言葉なのに同じ意味の言葉、ありふれすぎ。難しすぎ。外国人泣かせの言語なのです。
そして、日本人のなかでも、「おもんぱかる」を読めなかった、という40代以上の世代も、腐るほどいると思います。恥ずかしいから名乗り出ないでしょうけど、います。少なくとも、該当する人が投稿主の周囲に何人もいました。直接聞いたわけではありませんが、「おもんぱかる」ではなく、漢検でよくでるような難読漢字や、常用語ではない少し小難しい言い回しなど、聞き慣れない言葉によく詰まっているのを見かけますので、彼ら彼女らには「おもんぱかる」も読めないんだろうな、と推測ですが確信もって言えます。
で、そういう人が、そこらへんにゴロゴロいるのです。
職場の方でも、よく、「煮詰まる」を誤用してるのを日常的に聞きます。アラフォーの主婦のかたなのですが、しょっちゅう「煮詰まる」=「行き詰まる」の意味で使ってます。すごく気になります。でも、指摘しません。指摘しても相手に恥をかかせるだけだし、そのうち気付いてくださるだろう、と思って見守っています。ちなみに「煮詰まる」の本来の意味は「完成間近」とか「結論が出る寸前」とか、そういう意味です。でも、最近はもう誤用の意味のほうが浸透してきているので辞書などにも誤用の「行き詰まる」の意味で載ってきている傾向にあるそうです。それはつまりもう「誤用」とは言えないのです。
こういう系の「間違ってる意味のほうが浸透してきてるからもうそっちでいいじゃん」ってことが近年はめっちゃ多発してます。が、ここではちょっと話ズレるんでこれ以上展開しません。
ちなみにですが、投稿主もしょっちゅう言い間違いをします。それも結構な頻度で。ただ、言い訳すると、言った直後に「あ、これ意味ちゃう」って気付いて自ら訂正したりするので、まだマシなほうと思っています。
悪い例が身内にいるので挙げると、その身内は、投稿主よりひどいです。語感っつーか言葉の響きとか漢字とかは確かに「それっぽい意味がありそう」な言葉を、平気で口に出すのです。以前までは都度「それ意味ちゃう」ってわざわざ指摘してたんですが、指摘するたびに逆ギレしてくるので投稿主はもう何も言わなくなりました。これ、いわゆる「注意されるうちが花」ってやつです。注意されなくなったら、もはや「諦められてる」のであって、決して「許されてる」ではないのです。若い人は覚えておきましょう。口うるさく注意されてるうちに直しましょう。でないと、一生成長できません。
「言語は生き物」という名言がありますが、誤った意味がそのまま正しい意味になる、って点ではたしかにそうだとおもいます。
しかし、今回話題になってるのは、誤用じゃなく、そもそも「その漢字が読めないし、意味も分からない」という人がいる事態です。
しかし、よく考えると、「慮る」は、高校生の時に習った記憶があるので(しかも定時制)、知らない人は、単に記憶にないだけなのではないだろうか、と思っています。
投稿主の場合、日常的に趣味で小説を書くほか、仕事でも校正や校閲をすることが多いから、そういった難読漢字やらちょっと小難しい意味の言葉も忘れないでいるだけであって、
そういった趣味や、言語に触れる機会がない人であれば、忘れてしまうのも、当たり前なのではないかな、と思えるのです。
例えば、昔は海外に住んでた、という帰国子女。
聴けばなんとなく思い出せるけど、会話できるか、というと、長く触れてないから忘れた、という話はよく耳にします。
幼少期は、英語などもペラペラだった、とか、特技があってコンクールなどでも受賞したことがある人が、大人になったら全くできなくなってた、とか。そういう体験談も、よく聞きます。
人は、忘れる生き物です。
言語も、特技も、毎日夢中になってやってたことも、ある日を境に距離が出来たら、あっという間に腕は衰えます。
「おもんぱかる」が分からない人たちも、現役の学生時代であれば、きっとすぐに「聞いたことある」「見たことある」くらいには思い出せたかも知れません。
でも、悲しいですが、何度でも言います。
人は、忘れる生き物です。
進行度は人によって違いますが、年を取れば、物忘れが激しくなります。もはや逃れられない運命です。
だからこそ、常に「雑学」「豆知識」は蓄えて、頭を働かせる必要があるのです。
今回、「おもんぱかる」を忘れてしまっていた方々は、これを機に意味と読み方を覚えましょう。
また、「おもんぱかる」はかろうじて知っていたという人も、これ以外に難読漢字や小難しい意味のある日本語はゴマンとあるので、それらの意味も併せて覚えてみるのもいいかもしれません。
勉強、ではなく、「人生に彩りを与えるための素材」として、日本語の知識をもうちょっとだけ、身につける。
知識が増えると、日常も、楽しくなります。
たとえば、町の広告を見るのも、面白くなります。
「なんだこの変な言い回しの文章は」
という、世の中にはちょっとヤバイ文章の広告がそこら中にあることを知ることができます。正直これはすごくストレスになるのでオススメしませんが、「自分ならこういう言い回しにするのに・・・」という脳トレをすることもできます。
「人は考える葦(あし)である」
パスカルだかカルパスだかという偉人が残した名言ですが、これは意味を曲解すると「思考を放棄したら、そこで人生終了」になります。
考えて、生きましょ。
考えて、行動しましょ。
いまは、SNS(特にツイッター)で、一瞬で、自分の思ってることを全世界に向けて発信できる時代です。
なんかやらかしても後で消せばいいや、で済まない時代です。
「送信ボタン」を押す前に、「これ、ほんとに大丈夫かな」と一度、自分で考える時間をもうけることを、おすすめします。
私生活で目の前の人に言うのと、ネット上に文章として残すのとでは、まったく意味が異なります。
下手したら、一生ネットに痕跡が残るのです。いまはこれを「デジタルタトゥー」と言います。
今回、「おもんぱかる」の意味を知らなかった方々の発言・投稿は、すでに、各まとめサイトに掲載されてしまっています。アカウント名を消してくれているサイトもありますが、ほとんどのまとめサイトでは、そんな気遣いしてくれません。
そして、その「恥ずかしい書き込み」は、削除申請などしない限り、一生ネットに残り続ける上に、そのまとめサイトの1記事を削除してもらったところで、誰かのパソコン上に画像などのデータでDLされていれば、一生、ネタにされ続けるリスクを伴います。
有名な「俺、佐藤裕也 ピャー」という書き込みをご存じのネット民も多いかも知れませんが、リアルに、こういう形でネタにされるのです。
「書き込む前にひと呼吸おいて、『おもんぱかって』投稿しましょう」
ということで、リアルタイムで生き恥を晒す投稿主からのアドバイスは以上だ。解散!!
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